手術までの1週間
赤ちゃんの心臓が止まっていると知った夜。
娘の前でなく気持ちにはなれず、どうにか寝かしつけの時間まで頑張り。
寝かしつけるために、娘を抱っこしていると、なんか、この子の小さい版がお腹の中で亡くなってしまった、と猛烈に感じてしまい、涙が。
夫に、その日の診察について説明し、多分これが稽留流産というものであること。
先生には、ひとり無事に出産していることから、不育症ではないと思われること。
週数から、遺伝子の問題だと思われると言われたことを報告。
私は、こんなことになるなら、なぜ最初からちゃんと手放しで妊娠を喜んであげなかったのか、ということと、
お腹の中で小さな命が亡くなったというのに、なぜ私はちっとも気づかなかったのか、ということに、罪悪感を感じました。
あと、日々の忙しさを言い訳にして、娘の時のように、きちんと赤ちゃんのことを考え、感じてあげる時間が少なかったことも。
今は、気づかなかったことについては、症状がないことが特徴の稽留流産ゆえ、これは本当にしょうがなかったと思える。
赤ちゃんのことを考えてあげられなかったような気がするのは、その後、ひとり目も2人目も偶然同じ時期に妊娠した友人の言葉で、少し、客観的になれました。
彼女は、流産の報告をした私に、
自分もつわりや上の子の世話で手一杯で、正直赤ちゃんのことを構う時間がなかったけど、今回のことを聞いて、やはり命は奇跡だと思った。もっと赤ちゃんのことを気にかけなきゃと思った。と言ったんです。
でもね、私は、そんなのしょうがないよ!
だってつわりもあって、上の子もまだまだ手がかかって、お腹の赤ちゃんのことをかまってあげられてないと思ったとしても、それは違う。気持ちはちゃんといつもそこにあって、ただ、ひとり目みたいにはいかないだけだよ、と。
で、ハッとしました。
自分もそうだったのでは?と。
私は赤ちゃんのことを忘れてたんじゃなくて、いつも思ってた。
お腹にいるんだもん。忘れることなんかない。
ただ、ひとり目の妊娠みたいに、休みたいときに休んだり、無理しない選択肢を選ぶことが難しいのが今の生活。
比べることではないんだな、と。
気付いたのです。
それで、少し気が楽になりました。