稽留流産の手術①
手術の当日、夫と一緒に曇り空の下、病院に向かいました。
夫は3日間、私は1週間、会社を休む予定にしていました。
娘の存在は、私たちにとって、流産の悲しみを癒してくれる大切な存在でした。
同時に、娘と一緒にいる時間は慌ただしく、心から悲しみを感じることが難しいのも確かでした。
なので、2人で手を繋いで歩いて、話をすることは、私たちにとってとても大切で必要なことでした。
悲しみを感じないふりして前に進むのは危ないと、私は本能で感じていました。
ここをちゃんと、悲しまないと、きっと後々、心の状態を崩す原因になる。
そういう話もしながら、私たちは、今回のことはゆっくりと時間をかけて受け止めながら、前に進もうと、気持ちを確認しました。
これ、自分にとって、急がば回れだけど、絶対に正しい、と確信してます。今も。
悲しい経験を希望につなげるには、ネガティブな段階をスキップしないのが、いちばんシンプルで、幸せにつながる。
私はこの時もう、もう一度妊娠して、元気な赤ちゃんを産みたい、と思っていました。
流産する前は、思ってなかったというか、次の段階、もうひとり子供を持つということを、現実として考えるところまでいっていませんでした。
毎日が忙しく、幸せかと問われたら、もちろん幸せで。
世間の、子供は2人がいい論を、少し小馬鹿にしていました。
みんな何も考えずに流されてる人がおおいなーなんて。
今も、その気持ちはあります。笑
ただ、私は、今はもういちど妊娠したい。
想像して、失ってしまった喪失感はとてもとても大きくて。
私は、娘の兄弟を作りたいという理由ではなくて、あの想像を現実にするために、もういちど妊娠したい、と強く思っています。
つづく